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皆さんは成長する過程で様々な人との関わりを持ってきたのではないでしょうか?
今回は自分が現在に至るまでに出会い影響を受けた、3人の「師」について書いていきます。
道場の師範
中学生で剣道を始め、町でもそれなりに有名な道場に入りました。
そこの師範曰く、
「時間があったら勉強を、それでも時間が余ったら剣道を、それでも時間が余ったら遊びなさい」
剣道を極めた人間から勉強をしろという発言が出ることに新鮮味を感じました。
道場ではなぜか学校でテストがあると、成績表を提出させられ、成績が悪いと怒られました。
師範の質問に対しては挙手して簡潔に発言することが求められ、わからないことは「わかりません」と言うことを学びました。
剣道はサッパリでしたが、成績は悪くなかったのでそれなりに可愛がってもらえてたのかな、と勝手に思っています。
自分の恵まれていたところは、勉強ができることに対して一定の評価をしてくれる人間がいたことだと思っています。
部活の顧問
高校生になり引き続き剣道部に入りました。
顧問はかつてインターハイにも出ているような剣道バリバリの人でした。
ただこの人も、勉強の大切さをといてきました。
進学校であったこともあり、ライバルは開成、灘、ラサール(正直そんなレベルではない)と言われ、東大に行け!みたいな風潮でした。
「お前たちは磨けば光るダイヤモンドの原石だ」「回転数を上げられるのは軽ではなくフェラーリだけだ」などめちゃくちゃ言われました。
結果を出してきた人だからこその考えることがあったのかもしれません。
エリート思想に染まってしまう人もいましたが、努力すればそれなりに点数の取れる勉強は自己肯定感を支えてくれました。
大人や学校の都合だとしても、自分たちが期待されているというのは力になるものです。
自分は受験前に力尽きてしまった人間ですが、それでも良かったと思う部分はあります。
父親の友人
父親の友人が数年に一度集まる機会があり、その中の1人です。
大学を出て就職をしようと考えていると伝えたときに、 「行ける機会があるなら大学院に行くべきだ、仕事はその後でいくらでもできる」と言われました。
自分は親の脛をかじって大学院に行くくらいなら、さっさと社会に出てお金を稼ぐべきだという考えでした。
ただその人が熱心に学ぶ大切さを伝えてくれる中で考えが変わっていきました。
その人は博識で今でも勉強を怠らず、それでいて「深夜特急」を進めてくるなど、共感できる部分が多かったです。
最終的には両親にも頭を下げて大学院に行かせてもらいました。
多様性が叫ばれる中で、勉強という大切なものを推し続けてくれた人がまわりにいたという点で自分は恵まれていたのだなと思います。
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