気になっていた「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」を見てきたので感想です。
↓↓↓ 以下ネタバレ ↓↓↓
全体的な印象としては、ひぐらしのOVAを見るくらいの気分で見に行ったほうがいいかもです。
「卒」ほどではないですが、プリキュア劇場版のような別世界くらいの気持ちで見たほうがいい。
決して面白くなかったわけではないが、求めていたものとはずいぶん形が違ったかもしれません。
やはり、まどかが円環の理になったことで、作品としては一度完結したんだな……と思わされました。
そこから続くとなると、今までの世界の否定という形を取らざるを得ない、そこがノイズになる…
- 冒頭の戦闘はめっちゃよかった
- ゲームのオリキャラかと思った
- 「この悪魔……!」はかなりぞわっとした
- さやか、おうちに帰っちゃう
- ほむらの問題は、ほむら自身にけりをつけてほしかった
- やっぱり『まどマギ』と『エヴァ』にはシンパシーがある
- 円環の理からまどかが欠如するとどうなるのか
- まどかは実は全部知っていたのかと思った
- 願いの違いは、契約書の違い
- ほむら=ワルプルギスの夜説のほうがきれいだった気もする
- 「魔法少女になんかならなくたって、バイトすればいい」
- 現代的な演出にはちょっと違和感
- 13年ぶりだからこそ、初見も織り込んでいるのかも
- ベベが出てきたのはちょっとうれしかった
- それでも、ほむらの「まどかを助けたい」は強烈
- 結局、『まどマギ』が好きなんだと思う
- アニメの記事
冒頭の戦闘はめっちゃよかった

名もなき少女が魔法少女となって魔獣と戦うシーンは、超かっこよくてテンション上がりました。
映画の冒頭って観客を作品に引き込むため力を入れるのかな?実際、一気に作品に引き込まれました。
「まどマギ」は丸みを帯びたキャラデザなので、ふわふわ系の子のほうがかわいく見えるんですよね。
今回のこの子とか、さやかの恋敵である志筑さんとか、マミさんが映えます。
そもそも、可愛い女の子がきれいな音楽とともに戦っているシーンを見ると、心が癒やされます。
「まどマギ」はストーリーとしては実はそこまで惹かれていなくても、そういう点で好きなのかも。
ゲームのオリキャラかと思った

まず、とにかく新キャラである魔法少女っぽい魔女たちの「あなた誰ですか感」がすごかったです。
マギアレコードのオリキャラですか?というレベルの、本編未登場のキャラがいっぱい出てきた…
最近のアニメ映画においては、むしろこういう事件も珍しく懐かしいレベルなのかもしれません。
とはいえ知らないキャラに伝統のシャフ度を取らせるとは……!それは正ヒロインの特権だぞ!!
でも、これは制作側も絶対に意識して入れてますよね。作中の「斜度」もシャフトの欠けているのか?

セルマはインキュベーターの理屈に賛同して一見賢そうですが、自らへの評価のため裏切るのは母国を売り渡す売国奴って感じ。
あと2人は魔女なわけだったわけだから、アニメ版のように魔女としての世界観を作り込んでほしかったなとも思いました。
特にセルマの魔女に至っては、ただの戦隊ものの悪者か巨大ロボットですやん…。
物語がどんどん巨大になると、どうしてもこれまで以上に衝撃的なものを出さないといけなくなるので、ああなりがちなのかな…
マミさんの必殺技「ティロ・フィナーレ!」も、そんなところで聞きたくなかった。
まどかが魔女になった「救済の魔女」も、あんまり強そうに見えず、個人的にはワルプルギスの魔女のほうが全然強そうに見えました。
「この悪魔……!」はかなりぞわっとした

個人的にかなり印象に残ったのが、悪魔の力が行使できない名塚底根に、ほむらがさやかを意図的に連れてきたシーン。
ワルプルギスの夜が、問いかけに返答したほむらを見て「この悪魔……!」と言うシーン。ここは結構ぞわっときました。
ほむら自身はまどかを助けるために行動しているわけですが、その行動だけを見ると完全に「悪魔」のそれになっている。
実際に悪魔になっていることと、さやかを計画的にそこに巻き込む、そのまさに「悪魔」的な所業…!ほむらの愛は重い…
さやか、おうちに帰っちゃう

逆に、戦闘中に嫌になっておうちに帰っちゃうさやかは、視聴者側のほうが気持ちはよくわかります。
もはや何をすればまどかのためになるのか、こっちもわかんないよっ……(シンジくん)!
最終的に部屋から出るシーンで「私ってほんとバカ……」って言ったら、真面目に劇場から出ていこうかと考えましたがセーフ。
ほむらの問題は、ほむら自身にけりをつけてほしかった
個人的には、ほむらの問題はほむら自身がけりをつけてほしかったです。これはまどマギファンは結構そう思っていると信じています。
まどかを救うために何度もやり直し、最終的には世界の構造そのものを書き換えてしまう。そこまでやったほむらの物語なら、やはり最後の決着もほむら自身の問題として描いてほしかった。
今回はワルプルギスの夜という第三者によって割り込まれた形なので、どうしても事故的な部分があるように思いました。
もちろん、それによって新しい物語が生まれているわけですが、これまで積み上げてきた「ほむらとまどかの物語」に対して、途中から別の大きな話が乗ってきた感じもあります。
ラスト近くの「それでも私はまどかを助けたい」というところを、もっと作品全体のテーマとして描くべきではなかったのかな。
……ただ、ここは完全に「行きなさい、シンジくん!」だった(笑)。
やっぱり『まどマギ』と『エヴァ』にはシンパシーがある

前も少し触れましたが、『まどマギ』と『エヴァ』はやっぱりシンパシーがあるように感じます。
今回も、さやかの魔女化がエヴァのアスカを彷彿とさせました。
なんでこんなに共通点が多いんだ?
もちろん作品そのものは違うのですが、キャラクターの精神状態と世界そのものの構造が結びついていたり、最終的には巨大なシステムや世界の話にまで広がっていったりするところには、やはり似たものを感じます。
そしてエンドロールの足跡がほむらしか残っていなかったので、てっきり「話はここで終わりなのか」と思いました。
エヴァと一緒で、考察しすぎてもしょうがないのかな、という感じもします。
そこは後から入ったファンも同じように考えてそう。
円環の理からまどかが欠如するとどうなるのか
今回面白かったのが、円環の理からまどか自身が欠如したことで、円環の理が「システム」のような存在になってしまったところです。
確かに、まどか自身もあれだけの時間と数の魔法少女を経験してきたら、人間としての感覚が薄れて、ひとつのシステムのような存在になってしまっていてもおかしくない。
「まどか」という一人の人間と、「円環の理」というシステムが分離してしまったことで、まどか自身の人間らしさが失われてしまった、と考えると結構面白いです。
まどかは実は全部知っていたのかと思った
まどかは実は全部知っていた、という結末も想像していました。
でも、実際には残酷なくらい何も知らない。
これは確かに、まどかにとっての幸せなのか……。
円環の理として全てを背負うよりも、何も知らない「鹿目まどか」でいられるほうが幸せなのかもしれない。
でも、それはそれで、まどか自身の意思を奪っているようにも見える。
このあたりはかなり複雑でした。
願いの違いは、契約書の違い
セルマがまどかの力を乗っ取ろうとした一方で、マルグリートはすべての呪いを受け入れられなかった。
そう考えると、やはりまどかには円環の理になるための適性があった、ということなんでしょう。
そして面白いのが、同じような願いでも、マルグリートの「魔法少女の苦しみを癒したい」と、まどかの「すべての魔法少女を消し去りたい」では、だいぶ結末が変わることです。
これを見ると、契約書の大切さを感じます。
ただキュゥべえ、あなた高度知的生命体なら、こんな解釈次第のガバガバシステム、絶対に問題が起きるでしょ。
儀式の途中でどこかで勝手に細かい契約書にサインさせていない?
逆に『魔法科高校の劣等生』とか『鋼の錬金術師』的な目線でいうと、そんなガバガバなシステムで魔法少女というシステムが成り立つのか、という疑問もわいてきます。
高度知的生命体であるはずのキュゥべえが、よくこれで宇宙規模のシステムを運用できていたな。
ほむら=ワルプルギスの夜説のほうがきれいだった気もする

普通にTwitterで言われていた「ほむら=ワルプルギスの夜」説のほうが、物語としてはきれいだったような気もします。
今回はよくわからないサブキャラがいっぱい出てきて、そこに大きな設定が追加されたので、どうしてもまどかとほむらの物語から離れていってしまった印象があります。
『まどマギ』の中心にずっとあるのは、結局この二人の関係だったと思うんですよね。
だからこそ、ワルプルギスの夜そのものがほむらとつながっていたほうが、これまでの物語との連続性は強かった気がします。
「魔法少女になんかならなくたって、バイトすればいい」
一方で、Twitterで言われていた「魔法少女になんかならなくたってバイトすればいい」という意見は、かなり的を射ていると思いました。
もちろん作中世界には、魔法少女にならないと解決できない問題があるので、文字通り「バイトすれば全部解決」という話ではありません。
でも、見方を変えれば、まどかとセルマの願いって結構近かったのかもしれません。
どちらも「誰かを救いたい」「魔法少女の苦しみをなくしたい」という方向にある。
それでも、願い方や考え方が少し違うだけで、結果は大きく変わる。
そこはこのシリーズらしいところだと思います。
現代的な演出にはちょっと違和感
一方で、今回は時代が変わったことを感じる演出も多かったです。
まどかがAIでマルグリートについて調べたり、インスタ用に写真を撮ったりするところ。
時代が変わっているのはわかります。
13年前の作品の続編なのだから、現代の生活を多少入れるのは当然ともいえます。
ただ、別にそれは入れなくても成立するよな、とは思いました。
むしろ、あまりに現代的な要素を入れると、『まどマギ』独特の世界観から少し現実側に引っ張られる感じがあります。
あと、おそらくスポンサーの飲み物を挿入していると思われる場面がちょっとうるさかった。
それから遊園地のイラストも。
お金は大事だけど、世界観は崩さないでほしい。
せめて現実でのコラボにしてほしい……。
13年ぶりだからこそ、初見も織り込んでいるのかも
今回は13年ぶりということで、初見の観客も多少は織り込んでいるのかなとも感じました。
特に、魔女に関するオタクチックな部分がかなりカットされているように感じます。
昔からのファンなら「この魔女はこういう意味がある」とか、「このモチーフはこうつながっている」と考察するような部分を、今回はそこまで深掘りしていない。
平成のグダグダした考察は置いておいて、令和らしく明るくいこうぜ!
ということなんでしょうか。
草葉の陰で虚淵監督も泣いているのでは……?
「今回は自分いらなくないですか……?」みたいな。
まあ、実際には脚本はちゃんと虚淵玄なので、いらないわけではないんですが。
ベベが出てきたのはちょっとうれしかった

ベベ(なぎさ)の登場シーンが多くて暴れまわってくれたのは、ちょっとうれしかったです。彼女だけはずっとOVA枠ですから。
ただやたらと正義の味方っぽかった…お前がアニメ3話でした所業を我々は忘れていないぞ!
それでも、ほむらの「まどかを助けたい」は強烈
そして何より、ほむらのまどかに対する好意が重すぎる。
好きな女のために世界を書き換える激甘ヒロイン。
ここまで来ると「愛が重い」という言葉では全然足りない。
だからこそ、やっぱり最後には「それでも私はまどかを助けたい」という気持ちに戻ってくる。
そこは今回の物語の核になっていると思います。
まどかが最後に円環の理に何を言ったのかは、今後のキーワードなのかなとも思いました。
円環の理は帰っていったわけだから、個人的にはキュゥべえの悪だくみを防ぐためなのかな、と予想しています。
そして、エンドロール後に受話器を取るのはまどかなのか、それとも彼女に名を受けた人物なのか。
ここもまだ何か続きそうな雰囲気があります。
結局、『まどマギ』が好きなんだと思う
ストーリーとして見ると、実はそこまで惹かれていない部分もあります。
今回の感想を一言でまとめるなら、
「魔女たちのお前誰だよ感がすごかった」
になります。
ただ、それでも可愛い女の子たちが、きれいな音楽とともに戦っているところを見ると、なんだか心が癒やされる。
それだけで「やっぱりこの作品好きなんだよな」と思います。
『まどマギ』は丸みを帯びたキャラデザインも含めて、キャラクターそのものの可愛さがかなり大きな魅力なんだと思います。
そして、あとはやっぱり3話の衝撃と、ラストの「そうきたか」感。
あれがアニメ界を代表する作品になった理由のひとつなんでしょうね。
今回の『ワルプルギスの廻天』は、そこまで単純に「最高だった!」とは言えない作品でした。
でも、13年ぶりにまたこの世界を見られたこと自体は、やっぱりちょっと嬉しかった。
エヴァと一緒で、考察しすぎてもしょうがないのかな、という気もします。
設定を全部つなげて一つの答えを出そうとするより、「こういう解釈もあるよね」くらいで見ておくほうが、この作品には合っているのかもしれません。
結局、可愛い女の子がきれいな音楽と一緒に戦っていて、ほむらがまたまどかのためにとんでもないことをしている。
それを見て笑ったり、困惑したり、「この悪魔……!」でぞわっとしたりする。
それだけでも、13年ぶりの『まどマギ』としては十分だったのかもしれません。
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