【栃木県有名人】栃木出身の偉人(二宮尊徳、田中正造、荒井退造)

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栃木全国的に有名ですが、栃木県にゆかりがあるとは知られていない、偉人3人を紹介します。

  • 農政家・思想家の二宮尊徳(にのみやそんとく)
  • 政治家・公害問題の先駆者田中正造(たなかしょうぞう)
  • 警察官僚で沖縄戦時の住民救済者荒井退造(あらいたいぞう)

各人物の功績・貢献、来歴、生涯の要点、そして県内外のゆかりの地・関連施設をまとめました。

栃木県の歴史や観光と絡めて、地域の偉人としての魅力を伝えられればと思って記事にしました!

二宮尊徳(農政家・思想家)

業績・貢献

二宮尊徳(にのみや そんとく、1787–1856)は、封建時代末期に活躍した農村復興の指導者です。

報徳仕法と呼ばれる独自の経済・道徳統合の手法を編み出し、荒廃した村々の再生に尽力しました[1]

特に栃木県真岡市(旧桜町)では、用水路の築造や田畑の改革を自ら先頭に立って行っています。

また当時の天保大飢饉でも「至誠・勤労・分度・推譲」の教えで多くの村民を救済したとも[2][3]

こうした実践で尊徳の名は全国に知れ渡り、後世に「農村指導の稀代の英雄」として評価されている[1][2]

来歴

尊徳は天明7年(1787年)に相模国栢山村(現・神奈川県小田原市)に生まれた。

洪水や貧困で一家は没落したが、若くして勤勉に働き、24歳までに家を再興した[4]

その後、30歳で小田原藩家老服部家の財政再建を成功させ、続いて1823年には桜町領(真岡市東郷地区)の復興を命じられて移住した[1]

以後およそ30年間にわたり栃木県内の農村再興に取り組み、ウシや水車を導入するなど先進的な農政改革で成果をあげた[1][3]

安政3年(1856年)、日光御神領(今市)で没するまで、尊徳は報徳仕法を通じて社会に貢献し続けた[1][3]

ゆかりの地・関連施設

真岡市・桜町陣屋跡に建つ二宮尊徳像(栃木県真岡市)

栃木県内には尊徳ゆかりの史跡や資料館が残る。

真岡市の桜町陣屋跡(にのみやそんとく資料館)は、尊徳が領民救済に従事した当時の役所跡を展示施設として保存している[5][6]

敷地内には尊徳の功績を伝える銅像も建立されている(画像参照)。

また、日光市(旧今市市)の如来寺には尊徳の墓所があり、彼を祀る報徳文庫も置かれている[6]

その他、各地に残る「二宮掘」(尊徳が開削した用水路)跡や学校の像など、栃木県の複数箇所で尊徳の足跡が感じられる[6][5]

これらのゆかりの地は歴史散策の観光スポットとしても整備されている[2][6]

田中正造(政治家・公害問題の先駆者)

業績・貢献

田中正造(たなか しょうぞう、1841–1913)は、足尾銅山鉱毒事件の解決に生涯をかけた政治家である。

被害を受けた農民の救済と、公害問題解決への働きかけに尽力し、日本の環境問題史上の先駆者とされる[7][8]

彼は1890年の第1回衆議院議員総選挙で当選後、国会で鉱毒公害について繰り返し質問し、明治天皇への直訴を試みるなど執念深く訴え続けた[8][9]

これにより政府は予防工事を約束したが十分な効果は得られず、正造は地域住民と共に操業停止運動や遊水地建設反対運動を展開した[8][9]

こうした活動により、晩年には「環境問題の先駆者」「郷土が誇る偉人」として高く評価されるようになった[7][10]

来歴

天保12年(1841年)に下野国安蘇郡小中村(現・佐野市)で生まれた正造は、17歳で村の名主に就任した[11]

江刺県(のちの秋田県)役人を経て明治13年(1880年)には栃木県会議員に当選し、翌年には県会議長に就任した[12]

明治23年(1890年)の衆議院議員選挙で当選し立憲改進党に所属、国会では足尾鉱毒問題に積極的に取り組んだ[13][8]

明治29年(1896年)の渡良瀬川大洪水で被災者支援に乗り出し、農民らと共に足尾銅山操業停止を要求した[9]

明治34年(1901年)には衆議院議員を辞職して明治天皇に直訴を試みたが阻止され、以後も関東地方の河川治水事業に尽力した。

大正2年(1913年)、谷中村(現在の群馬県)の帰途で病没した[14][8]

生涯を通じて公害対策・地域復興に奔走した正造の活動は、現代の環境運動にも通じるものとされる。

ゆかりの地・関連施設


佐野市惣宗寺(佐野厄除大師)にある田中正造の墓石(「愚直田中翁之墓」の刻字がある)

正造の故郷佐野市には田中正造旧宅(史跡・資料館)がある。

ここは生家を改装した郷土資料館で、足尾鉱毒事件や正造の業績を紹介している[7][15]

佐野市教育委員会による県指定史跡にも登録され、一般公開されている[15]

また、日光市足尾地区には2025年8月に開館した足尾銅山記念館があり、かつて日本一の鉱都と呼ばれた足尾銅山の歴史や鉱毒被害の展示が行われている[16]

他にも、渡良瀬川の遊水地となった谷中村(現在は自然公園)や、栃木・群馬県境の渡良瀬遊水池周辺には正造を称える銅像・碑が点在しており、いずれも観光・学習のスポットとなっている[15][16]

佐野市惣宗寺には「愚直田中翁之墓」と刻まれた正造の墓石も残る(画像参照)。

荒井退造(警察官僚・沖縄戦時の住民救済者)

業績・貢献

荒井退造(あらい たいぞう、1900–1945)は太平洋戦争末期の沖縄県警察部長として、沖縄県民の疎開・保護に尽力した警察官僚である[17][18]

1943年の赴任以降、沖縄本島が戦場となる前から避難計画を進め、島田叡知事と協力して約7万3千人を県外に、さらに沖縄本島北部へ15万人以上を疎開させたとされる(合わせて延べ20万人程度)[18][19]

これにより、多数の住民の命が救われたとされる一方、北部疎開先では生活困窮や犠牲者も生じたため、功罪両面の議論があるのも事実である[18][19]

沖縄戦が激化して外部との連絡が途絶した状況下でも、彼は県民保護を最優先に行動し続けた。

最終的に、1945年(昭和20年)6月、摩文仁の陥落前に島田知事とともに壮絶な戦場へ身を投じ、消息不明となったまま戦没した[19][18]

来歴

退造は明治33年(1900年)9月、栃木県芳賀郡清原村(現・宇都宮市)で農家の次男として生まれた[17]

地元の尋常小学校・高等小学校を経て明治大学夜間部を卒業し、1927年に高等試験に合格して内務省に入省するという苦学の人であった[17]

以降、東京や福島、長野など各地の警察署長を歴任し、1943年に沖縄県警察部長に就任した[17]

赴任から戦局終結まで、沖縄県民の避難・保護を優先し、知事島田叡と二人三脚で県民疎開を推進した[19][18]

その功績が顕彰される一方、戦後は行政責任を問う声も上がった。享年44歳。

ゆかりの地・関連施設

退造ゆかりの地としては、栃木県宇都宮市にある生家(旧清原村上籠谷町)が挙げられる。

ここには2016年に顕彰碑が建てられ、地元のNPOや宇都宮高校による記念行事が続いている[20]

また、宇都宮高校の同窓会杯(野球大会)や教育資料でも彼の功績が採り上げられ、郷土学習の対象となっている[20]

沖縄県那覇市糸満の平和祈念公園内には、退造と島田知事を祀る「島守(しまもり)の塔」が建立されており、沖縄戦の悲劇を伝える慰霊碑となっている(所在地は宇都宮・栃木ではないが、退造の業績を後世に伝える施設である)。

栃木県内では顕彰活動が進んでおり、資料展示や講演会などを通じてその人生が紹介されている[20][18]

関連ウェブサイト・記事の傾向

これらの偉人を取り上げるウェブサイトや記事には、歴史と観光を結びつけた構成が多い。

例えば栃木県公式観光サイト「とちぎ旅ネット」では、各人物のゆかりの地に関する観光スポット紹介ページを公開している[2][7]

二宮尊徳や田中正造の紹介ページには人物の足跡や教えをまとめつつ、桜町陣屋跡や旧宅(資料館)の開館情報など観光案内が組み込まれている[2][7]

また、旅ネットの公式ブログ記事では、偉人の生涯に触れつつ、地域のグルメ・名所と絡めた散策ルートを写真多めに紹介しており、旅行者向けのやさしい語り口で解説している[21][2]

一方、下野新聞や県教育委員会のサイトなどでは、年表やQ&A形式で生涯をわかりやすくまとめた記事・教材を提供しており[11][1]、地元紙の特集では詳しい功績解説や関係者インタビューが行われている。

これら競合コンテンツは、簡潔な解説と関連施設の案内を組み合わせた点が共通している。

栃木県の歴史観光の文脈でいずれも「栃木県 偉人」「○○ 何をした人」などのキーワードに配慮しながら情報発信しており、歴史好きや観光客にもアクセスしやすい内容となっている[2][7]

出典: 二宮尊徳、田中正造、荒井退造に関する情報は栃木県教育委員会資料[1][11]、地元公式サイトや観光情報[2][7][16][17]、学習用ウェブサイト[18][8]などを参考にまとめた。

[1] [3] [6] 栃木県/人物「江戸時代以前」二宮尊徳

https://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/tochigiken/hakken/jinbutsu1_14.html

[2] [5] 二宮尊徳資料館・桜町陣屋跡 | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト

https://www.tochigiji.or.jp/spot/s4958

[4] 御祭神二宮尊徳翁 | 報徳二宮神社

https://www.ninomiya.or.jp/sontoku

[7] 田中正造旧宅 | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト

https://www.tochigiji.or.jp/spot/s11147

[8] 田中正造|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/290

[9] [11] [12] [13] [14] 田中正造 - とちぎふるさと学習

https://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=6&r=24

[10] [15] 栃木県指定文化財/田中正造旧宅/佐野市

https://www.city.sano.lg.jp/soshikiichiran/kyouiku/bunkazaika/gyomuannai/bunkazai/5/15753.html

[16] 足尾銅山記念館 | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト

https://www.tochigiji.or.jp/spot/s60555

[17] [19] [20] 荒井 退造 | 映画『島守の塔』公式サイト

https://shimamori.com/taizou-arai

[18] 荒井退造 | 歴史人物学習館

https://rekijin.net/arai_taizo

[21] 江戸時代の偉人「二宮尊徳」ゆかりの地へ(真岡市) | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト

https://www.tochigiji.or.jp/blog/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%81%89%E4%BA%BA%E3%80%8C%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3%E3%80%8D%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0%E3%81%B8%EF%BC%88%E7%9C%9F%E5%B2%A1

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