【理系×宗教】現代日本人にも受け入れられる新しい形の宗教を考えてみる

学生生活

宗教と科学は対立したものとして取り上げられることが多いですが、両立は可能と考えます。

科学の道を志しながらも、心の拠り所としていきたい考えを宗教として整理してみました。

現代社会で神に最も近いである存在「AI」とも対話していると、面白い結論が出てきました。

※本記事は特定の宗教を批判する意図はありません。あくまで個人の考えになります。

神というシステム

神の存在を信じるかという話では「そもそも神とは何なのか」がずっと気になっていました。

禁書目録で考える、神ってなんだ?(note記事)

自分の中では神は「輪廻転生」的なシステムであると考えます。言い換えれば一種の関数か。

我々がある行動をすると決まった出力がされます、ただその時間や起こる出来事は異なる。

日本式な考えで言うと「罰が当たる」ですが、後述するように本宗教は善悪を否定します。

量子力学の確率論に対してアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言いました。

本宗教はこの考え方を支持し、確率論はまだ発見されていない法則の一側面であるとします。

現在は偶然に起こっているように見えても、そこにはきちんとしたシステムが存在します。

1.1 因果応報システムとしての神概念

提案された「神=関数システム」説は、仏教の縁起説とヒンドゥー教の業(カルマ)思想に近似する。仏教では「此があれば彼があり、此がなければ彼がない」という縁起の法(パティッチャサムッパーダ)を根本原理とし、原因と結果の連鎖を12の環で説明する16。ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター』では「行為の結果は時間を超えて蓄積され、輪廻のサイクルを形成する」と説く3。これらは提案者の「行動入力→出力生成」モデルと機能的等価性を持つ。

量子力学との関連では、ジャイナ教が「業物質(カルマ・パウダ)」という微細な粒子概念で因果を説明する点が注目される1。業物質は行為に応じて魂に付着し、物理的な作用を及ぼすとされる。この説明様式は、未発見の物理法則によるシステム的因果律という提案者の考えと相似形を成す。

1.2 決定論と自由意志の調和

イスラム教の予定説(カダル)では「アッラーが万物を定めたが、人間に選択の自由を与えた」という二重予定論を採用する47。シーア派神学の「ビダー(神的修正)」概念では、祈りや善行が予定を変更し得るとされる。この柔軟な決定論は、提案システムの「確率論的現象も隠れた法則に従う」という立場と共鳴する。

プロセス神学(ホワイトヘッド)は神を「宇宙の創造的進化に参与する過程的存在」と再定義し、古典的決定論を超える動的システム論を提示する58。この「神=進化する関係性の総体」という観点は、関数型神概念の現代的展開として重要である。

全は一、一は全

本宗教では多神教か一神教かを議論せず、三位一体説を拡張した全位一体説を採用します。

神はシステムを示しますが、ある人の前にはその人の信ずる者の姿をもって現れることも。

本宗教は偶像崇拝を否定せず、偶像はその人が望むものならばどんなものでも良しとします。

また自分も含めたすべてのものには神が宿り、その神は固有でありながら同一のものです。

日本式の考え方で言うと、八百万の神、神様仏様は別々でありながら全位一体説を満たします。

2.1 多神教的一神論の伝統

提案の「全位一体説」は、ヒンドゥー教の「梵我一如」思想とストア派の「ロゴス」概念の統合として解釈可能である。『ウパニシャッド』の「タット・トゥヴァム・アシ(汝はそれである)」という命題は、個体と宇宙原理の同一性を宣言する3。一方、ストア哲学では「ロゴス(世界理性)が万物を貫き、個々の現象はその部分表現である」と説く28

日本神道の「八百万神」概念は、この全一思想を具体的に実践する形態と言える。『古事記』における神々の生成プロセスは、単一の根源神(天之御中主神)から多神が分化するプロセスとして描かれる。この「分化と統合のダイナミズム」が提案者の偶像崇拝許容論と符合する。

2.2 汎神論的実在観の現代的意義

プロセス神学の「双極的神論」は、神を「絶対的側面(原初的本性)と相対的側面(結果的本性)」の統合体と考える58。これは「神がシステム全体であると同時に個別現象に宿る」という提案者の思想と相似性が高い。数学的モデルで言えば、神を普遍集合とその要素群の関係性として把握する立場と言える。

善と悪は存在しない

善悪とはその文化を構成している大多数が支持する考えであり、あくまで相対的なモノ。

そのため、大多数が殺人を是としている場合や、一般に悪事に良心の呵責を覚えない人も。

ただある人がその行動に拒否感を示している場合、何らかの形でその人には返ってきます。

本宗教は自分の正しいと思った行動を行っている人間を最上とするため、善悪ではありません。

3.1 善悪超越の倫理体系

ジャイナ教の「アネーカーンタヴァーダ(非絶対主義)」は、真理が多角的視点から構成されるとする立場で、提案者の相対的善悪観と通底する1。同教では「七つの視座(ナヤヴァーダ)」を用いて現象を多面的に分析する方法論を発展させた。

仏教中観派の「空(シューニャター)」思想は、固定した本質を否定し関係性の中で現象を捉える6。龍樹の『中論』で示される「八不」の論理(不生不滅など)は、善悪の二項対立を超える思考様式を提供する。

3.2 社会規範の再構築

提案の行動規範は、儒教の「中庸」とイスラム法(シャリーア)の「マスラハ(公共善)」概念を統合したものと解釈できる。『論語』の「過ぎたるは及ばざるが如し」という教えは、現代風に解釈すれば「何事も行き過ぎてはいけない」という戒めに通じる3

人を痛めることをしない

善悪を区別しないとしましたが、社会を成立させる以上最低限の制約は必要となってきます。

例えば「人を殺してはならない」、これは善悪ではなく人間の存在意義のもはや定義です。

キリスト教における「十戒」に近い部分がありますが、現代に合わせて少し変えてあります。

  • 自分の信じるところに逆らってはならない
  • 自分や他人を無意味に損ねてはならない
  • 何事も行き過ぎてはいけない
  • 他人をねたんではならない

4.1 暴力禁止の宗教的基盤

ジャイナ教の「アヒンサー(非暴力)」は、微生物への配慮まで含む徹底した実践を特徴とする1。この思想は提案者の「無意味な損傷禁止」原則と方向性を共有する。仏教の「五戒」、特に第一戒の「不殺生」も同様の倫理基盤を持つ6

4.2 現代社会への適応

ユダヤ教の「ティクン・オラム(世界修復)」概念は、社会改良の義務を説くが、提案者の「半径85cm救済論」はこれを個人レベルに再定位したものと言える7。キリスト教社会教義の「補完性原理」も、問題解決を最も身近な共同体レベルで行うべきだとする点で類似する。

半径85㎝はこの手の届く距離

本宗教はすべてのものの救済ではなく、「自分の手の届く範囲での救済」を説きます。

自分のどうしようもない部分は募金など、できる範囲で喜捨を行いあとは他に任せます。

これまでは見えていなかった部分に目を向けるのは大切ですが、キャパを超えています。

全人類が隣人を助ければ、遠く離れた人間の救済は必要とはされないのです。

そもそも遠く離れた出来事を知ることができなかった時代でも、他宗教は存在しました。

5.1 救済範囲の宗教的モデル

上座部仏教の「自灯明・法灯明」思想は、自己の努力による解脱を強調する6。これは「手の届く範囲の救済」という提案者の立場と親和性が高い。禅宗の「脚下照顧」も、眼前の現実を重視する点で共通する。

5.2 共同体主義的アプローチ

ユダヤ教の「ツェダカー(義捐)」は、収入の10-20%を慈善に充てる規定を持つが、優先順位として家族→地域社会→遠方の順を定める7。この段階的責任論は、提案者の「キャパシティ内救済」思想と軌を一にする。

あの世とは反転世界

命の数は決定しており、古い命が潰えた分だけ同じ数の新しい命が生まれるとみなします。

ソードアートオンラインに出てくるアンダーワールドのフラクトライト数の話と同じです。

地獄や天国という概念はなく、死んだらこちらとほぼ同じ世界で生活することになります。

この世とあの世はパラレルワールドに近く、互いに干渉はできないため祈りは通じません。

死んでも人は無に戻ることを否定することで、残された人と前世でのふるまいを抑制します。

6.1 パラレルワールド型来世観

グノーシス主義の「アルコン支配論」では、この世界を偽造宇宙とし、真のリアリティを別次元に想定する8。提案者の反転世界説は、この二元論的宇宙観をより相対化したものと言える。

道教の「陰陽理論」では、現世と冥界を相互補完的な存在とみなす3。『淮南子』の記述では「生と死は呼吸のようなもの」と表現され、連続的な世界観を示す。

6.2 輪廻思想の数学的モデル

ヒンドゥー教の「サンサーラ(輪廻)」を確率的過程としてモデル化する試みは、現代のシステム理論と親和性を持つ1。提案者の「命の数保存則」は、仏教の「縁起の法」を集合論的に再解釈したものと見做せる。

ゼロを正しきものとする

ゼロはゼロでも数字の0のことです。インドで導入された「存在しないこと」を示す文字。

存在するが存在しない、存在しないが存在する。そんな不思議な数字を本宗教では支持します。

仏教における中道の考え方に近いでしょうか、高すぎもせず低すぎもしない、あるがままの姿。

オイラーの公式を「神の公式」ということもありますが、全宗教の到達点といったところでしょうか。

まだ発見されていない「神そのものである公式」も統合であればすべて左辺に移動して=0とできます。

7.1 空・無の思想系譜

龍樹の「空」思想を数学的に表現すれば、まさにゼロ概念の哲学的深化と言える6。『中論』第24章で「空を縁起と見做す」と説く論理は、0を介した等式変換と構造的に相似である。

道教の「無為自然」思想も、過不足のない自然な状態を理想とする点で3、提案者の「あるがままの姿」という理念と通底する。

7.2 数学的神秘主義の伝統

ピタゴラス学派の数秘術や、カバラのゲマトリア数秘学は、数に宇宙の真理を見出す伝統を持つ8。提案者の「神の公式」探求は、これらの試みを現代数学で再解釈する営みと位置付けられる。

総括:新宗教成立可能性の評価

思想的整合性

提案宗教観は、東洋の業思想・西洋の過程哲学・現代システム理論を統合する点で独創性を持つ。既存宗教の断片を再構成したものではあるが、数理的モデル化とアニメ的比喩による現代的再解釈が成功している。

実践的課題

(1)抽象概念の具象化:システム論的神観念を具体的神事へ転化する儀礼体系の構築が必要
(2)共同体形成:個人主義的傾向が強いため、持続的組織維持のメカニズムが課題
(3)倫理基準の曖昧さ:「無意味な損傷」の定義解釈に文化的バイアスが生じるリスク

歴史的類例との比較

バハーイー教(諸宗教統合)と創価学会(文学的なる法華経解釈)の成立過程と比較した場合、現代的な物語的枠組みを活用する点で成功の可能性がある。ただし、数学的抽象性が普及の障壁となる可能性も否定できない。

学術的意義

宗教現象学の観点から、デジタルネイティブ世代の「物語的宗教性」を分析する格好の事例を提供する。特に、アニメ的メタファーと数学的思考の融合は、21世紀の新宗教形態を考察する上で重要な手がかりとなる。

本宗教観は、既存宗教の要素を学際的に再編成した「新統合型宗教」として成立可能である。ただし、その持続的発展のためには、抽象概念を具体化する物語体系と、柔軟な共同体運営モデルの構築が不可欠である。現代社会が抱える「意味の分散化」に対する解答として、システム論的宗教観は有効な選択肢となり得ると結論付けられる。

日本人的な思考らしい

https://x.com/ma_osa/status/1890058578129834053

最も近いのは「日本的な仏教と神道のハイブリッド」+「現代日本の無神教的コスモロジー」ですが、あなたの宗教観はこれらをベースにしつつ、現代の合理主義・個人主義・科学的世界観を融合させた全く新しいタイプの宗教哲学です134

Twitter上で「日本人は神道BIOSの上で仏教OSを動かしている」というのは有名な話。

思った以上にBIOSの影響が大きかったことは、無信仰だと思っている身からすると意外です。

AI出力部分についてはファクトチェック済ですが、専門的なのでご指摘あればコメント下さい。

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