「3分でわかるホーキング」で世紀の大天才の生涯を追う!

大学生活 感想文

突然ですが、皆さんは物理学者のホーキング博士を知っていますか?

近年亡くなったということで知っている人も多いかと思います。

今回は「3分でわかるホーキング」という本からホーキング博士の生涯を追ってみようと思います! 

※どんな発見をしたかなどはかなり難しいので今回省略します。


スティーヴン・ホーキングとは

ティーヴン・ウィリアム・ホーキング(英: Stephen William Hawking、1942年1月8日 – 2018年3月14日)は、イギリスの理論物理学者である。

大英帝国勲章(CBE)受勲、FRS(王立協会フェロー)、FRA(ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツフェロー)。

スティーブン・ホーキングとも。

スティーヴン・ホーキング – Wikipedia

 アインシュタインに続き、宇宙論に大きな飛躍をもたらした科学者です。

また同時にALSという病気を抱えながらも研究をつづけた人物でもあります。

ホーキング博士との出会い

僕が初めてホーキングの名前を知ったのは小学生の頃でした。

図書館に並んでいた海外のSF小説を読んでいたところ、両親から作者が有名な物理学者であることを教えてもらいました。

そのとき読んでいた本が「宇宙への秘密の鍵」でした。

確か少年が不思議なコンピューターで宇宙にワープしてしまう話だった気がします。

続編の2巻、3巻もちゃんと読みました!(素粒子論にも触れていました)

宇宙には昔から興味があったので楽しく読むことができました。

こんな子供向けの本を世界で活躍している科学者が書いているということに驚いたのを覚えています。

※正確にはホーキング博士の話をもとに娘が話を書いていたことを今回知りました。

スティーヴン・ホーキングの生涯

誕生・幼少期

地動説」で有名なガリレオ・ガリレイの没後ちょうど300年後の1942年1月8日オクスフォードで誕生しました。

両親はともに中流階級のオックスフォード大学卒で、ホーキングを長男としてメアリー、フィリパ、そして養子のエドワードは幼少期をオックスフォードの地で過ごします。

ホーキングは世紀の天才たちとは異なり、いわゆる「ガリ」タイプだったようです。

運動は苦手で下が回らない上に早口でクラスからは孤立していました。

しかし教師陣は彼の他の人と変わったところに才能を感じ高く評価していたようです。

オックスフォード大学への進学

自分の後を継いで医者になってほしい父親との衝突の末、ホーキングは父親と同じオックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジには進学しますが、分野は自然科学を選択しました。

しかし大学の物理学の授業が簡単すぎたため、彼は無気力になり大学へ行かなくなってしまいました

後にボート部に入り気力を取り戻しますが、ここでの勉強不足は彼を苦しめることになります。

ケンブリッジの大学院で博士号を習得しようと考えていたホーキングですが、最終試験の点数が足りず大学院に行ける境界線上の成績を取ってしまいます。

しかし最終的に大学の行った口頭試験に無事合格し、ケンブリッジの大学院に進みます。

ケンブリッジ大学院

ケンブリッジ大学院で彼には「宇宙論」と「素粒子」という二つの選択肢がありました。

彼は新しい発見が多くあるがまだ確立していない「素粒子」ではなく、アインシュタインによる「一般相対性理論」に基づきつつまだわからないことが多い「宇宙論」を選択しました。

ホーキングの指導をすることになったデニス・シアマは彼の数式に対する勉強不足を補わせつつ、彼のたぐいまれな才能を生かせる場所を探していました。

そしてついにロンドンの天才数学者ロジャー・ペンローズの講演後にホーキングはブラックホール特異点に関する重要な視点を手に入れました。

ALSで余命2年と宣告を受ける

宇宙論に対する重要なカギを手に入れたホーキングでしたが、大学院卒業を目前に急に不器用になり何もないのにつまづくようになります。

悪化する症状を診断して病院から知らされたのは

筋萎縮性側索硬化症(通称ALS)で余命2年

という死の宣告でした。

彼は自らの運命に絶望しますが、隣のベッドの患者であった少年の死を見たことで死に立ち向かうことを決意します。   

運命の出会い

病気に立ち向かうことに決めたホーキングは大みそかのパーティーでジェーン・バーンズと恋に落ちます。

ふたりは婚約し、限られた時間を共に過ごすことを決めました。

一方でホーキングはALSを抱えながら2人の生活を安定させるために、大学の研究員の職を探し始めます。

余命2年と宣告されたホーキングですが、4年後には長男のロバートの誕生を見ることができました。

ロバートの誕生はホーキングに希望を与え、このころから彼は天才物理学者をして名をはせるようになってきます。

また、このころから病状の悪化により本人が拒み続けていた車いすを使用するようになりました。

1960年ごろからホーキングロジャー・ペンローズは次々と難解な研究を進めていきます。

ふたりの研究により「ブラックホール熱力学」という新たな分野の学問も誕生しました。

またホーキングは、ニュートンダーウィンアインシュタインなどが属する英国王立協会のフェローに史上最年少で任命されます。

 またケンブリッジ大学のルーカス教授職に任命されます。

その後カリフォルニア工科大学(通称カルテックに招聘されたホーキングはバリアフリー設備を整った大学でファインマンなどと交友を深めました。

さらにここで知り合った物理学者ドン・ペイジはホーキングの生涯の友となりました。

スイス、ジュネーブ欧州原子核研究施設(CERNで働いていたホーキングは呼吸困難に陥り、妻ジェーンの判断で気管切開手術を受けました。

この手術によって彼の天才的な理論は彼の脳内にしまわれたままになってしまうかと思われました。

しかし療養のためケンブリッジに戻ったホーキングの元にアメリカのコンピュータ専門家ウォルト・ウォルト―スがイコライザと呼ばれる音声合成装置を送り、有名な「ホーキングの声」が完成しました。

ALSの治療費と3人の子供の養育費と金銭面で苦しくなっていたホーキングは子供向けに科学を解説する本を出版することを決意します。

彼の書いた「ホーキング、宇宙を語る」はホーキングの名を世界に知らしめ、ポピュラー・サイエンス・ブームを巻き起こしました。

現在この本は合計1000万部を売り上げています。

本を執筆したころからホーキングは一般の人にも科学を楽しんでもらうための活動を精力的に行うようになります。

スター・トレック」に本人役として出演したり、「シンプソンズ」のキャラクターとして登場したりしています。

宇宙への神秘の鍵」シリーズが出版されたのもこの頃ではないでしょうか?

離婚、再婚、離婚

有名になったホーキングでしたが、それに伴い妻との関係はあまりよくないものとなっていました。

1990年にエイレンという彼のコンピュータの技師の元妻と同棲しているというニュースがあった後、彼はジェーンと離婚します。

彼の多忙な旅行(アメリカ、インド、イスラエル、カナダ、南極、成層圏など)の多くにエイレンはついていき二人は17年共に過ごしたが2006年に二人は離婚することを発表しました

その魂はどこへ

その後ホーキング2018年3月14日、多くの人に惜しまれながら亡くなりました。

76歳で葬儀はケンブリッジ大学内のキリスト教会で行われたそうです。

彼が最後に残した言葉は「ホーキング、最後に語る」として出版されています。

ホーキング神を信じていないと公言していました。

彼の魂は一体どこへ旅立って行ったのでしょうか?

まとめ

この本を読んでいて感じたのは、彼は多くの人に支えられており彼もそれに全力出応えようとしているということです。

科学者というと人間関係はあまり得意でなく、ずっと研究をしているというイメージをいがちですが、ホーキング博士の周りは温かい人間が集まっていたことが分かります。

また彼はALSという病気を抱えているにも関わらず、それを言い訳にせず精力的な活動を続けてきました

彼は障碍者をはじめとしたマイノリティの声を、天才物理学者という世界に影響を与えられる立場から訴え続けました

研究者としてだけではなく、一人の人間としても尊敬できる人物だということを再確認できました!

題名通り、1セクションが3分で読めるように簡単にまとめてあるので読みやすいです。

写真も多いためホーキングの生涯をよりリアルに知ることができました!

ぜひ読んでみてください!

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