みなとみらいの「横浜みなと博物館」で横浜港の歴史と船について学ぼう!

美術館、博物館

黒船が来航して以来、海外との貿易を行い明治維新のきっか

けになった横浜港。

その後も横浜港は世界の中心となり様々な出来事に巻き込まれながら現在に至ります。

今回はそんな横浜港の歴史や港にやってくる船舶について、初心者にもわかりやすく解説している「横浜みなと博物館」を紹介します!

横浜みなと博物館の基本情報

横浜みなと博物館に行ってきた!

インター―ンシップの合間に「ぐるっとパス」を使って行ってきました!

12月の2日から2月ごろまでは外の「日本丸」が工事中のため、中に入ることができません。

入って右側が横浜みなと博物館、左側が柳原良平アートミュージアムとなっています。

1.開港前後の横濱

神奈川宿

海外への開港前から、横浜は東海道の五十三宿の1つである「神奈川宿」として栄えていました。

当時は富岳三十六景の「神奈川沖浪裏」にあるような「押送船(おしおくりふね)」が強い波の間を巧みに漕いでおり、のちの浦賀奉行所でも利用されています。

吉田新田

もともと横浜の一部は海が内陸まで入り込んだ「入り海」でした。

砂浜が横に広がっていることから「横浜」と呼ばれるようになったのも納得です。

これを埋め立てて現在のように人が住めるようにしたのが、大河ドラマの主人公にもなった吉田官兵衛。

なんどかの失敗の末、入り海を埋め立てることに成功しました(横浜は埋め立て地である、これ重要!)

ペリー来航

長い間鎖国政策を続けてきた日本ですが、鯨油を求めるためにやってきた諸外国にとうとう港を開くことになります。

日本人はクジラの肉もきちんと食べていたのに比べ海外は捨ててしまっていたことを考えると、いま日本が捕鯨をするのは少しは許されるのではないかと思ってしまいます。

当時の人々は突然やってきた黒船に興味津々で、幕府の抑制も効果はなく見学者や偉人や偉船を描いたものがたくさん出回っていたそうです。

新しいものにすぐに飛びつくあたり、日本人は今も昔も変わらないなと思いました。

当時は外人と接する機会のある横浜の人々に特有の「ハマ言葉」が存在したそうでそれらは現代にも用いられています。

「メリケン」が”American”なのは知っていましたが、「半ドン」「ペケ」「ちゃぶ台」などの語源がハマ言葉からきているというのは初耳でした!

2.近代港の建設

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桟橋、ドッグの建設

港での貿易が活発になるにつれて簡素な作りであった横浜港は戦後に変換された賠償金で横浜港を回収します。

当時は重機などなかったので、港の基盤になる巨大なネジ「スクリューパイル」を手回しで差し込んでいたというのが驚きです。

横浜の赤レンガ倉庫

現在の横浜でも観光地として有名な赤レンガ倉庫は当時の大蔵省役人の妻木頼黄が、自ら海外で学んだ建築学を用いて作らせた当時としては最先端の倉庫でした。

現在はおしゃれなお店が連なるショッピングフロアとなっています。

3.大震災と復興

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東日本大震災の爪痕

年の関東大震災で横浜は壊滅的な被害を受けます。

原因は町が埋め立て地の上に建てられていたこと、港の地盤が頑丈でなかったことなど。

当時横浜港に停泊していた海外の船舶は港に避難してきた人をボートで船に運び、けがの処置などに尽くしてくれました。

大きな被害を受けた横浜港ですが日本にとって重要な港であること、当時の横浜の人たちの働き掛けもあり、優先的に改修工事が行われました。

豪華客船と有名人

またこの頃は豪華客船が横浜港にやってくることが増え、ベーブ・ルースやチャップリンなども個の横浜港に足をつけているとか。

4.戦争と接収

made in occupied Japan

第二次世界大戦が終了したのち、横浜は連合国軍の占領下におかれました。

軍人たちのカマボコ型の宿舎がある地域との間にはフェンスが作られ、横浜の町には英語名が付けられました。

このときわずかに輸出が許されていた商品には「占領下の日本」を示す「made in occupied Japan」の名称が用いられました。

占領下にあった横浜港も日本の戦後の復興に伴い規制が緩められ、変換されました。

5.行動経済成長と港の整備

はしけ

高度経済成長に伴い横浜港の貨物量はどんどん増えていきます。

海上の荷物を小分けにして運ぶ「はしけ」という船の中ではそれを仕事にする家族が生活をしていました。

ここに住む子供たちは寮付きの「日本水上学校」に通い、週末にはしけに帰っていました。

氷川丸

戦争をくぐり抜けて生き残った唯一の船「氷川丸」がその長い人生を終え運用を終了します。

その後氷川丸は回収され

6.コンテナ輸送時代の始まり

7.国際競争力の強化

現代のコンテナ輸送や船舶の状況について解説されていますが、ブースはほとんどなし。

詳しくはその次のブースで、といった感じでした。

横浜港の再発見ゾーン

ここからは部隊が現代に移り、実際に使用されている横浜港がどのように作られるか、そこで運用されている船舶についてなどの展示が続きます。

今までのブースもかなり中身が濃かったですが、このブースからも出口まではかなり距離があります。

展示スペースの大きさが、海の上に港を作る際に用いる「鋼板セル」の直径と同じ24.5mとなっており、実際にはこれを並べた後に砂利などを入れて足場を作ります。

昔の荷物の輸送方法についての展示もあり、昔は全て人力で荷物を運んでいたのが今は少ない人数で24時間364日(元旦のみ休み)稼働できるようになりました。

豪華客船がやってくる横浜港についての展示もあり、展示を見ながらヒトデさんの見てきた景色はこんなものだったのかな…とか考えていました。

最後のブースにはキッチンが再現されており、料理を持ち上げるとそれぞれの輸入量などが分かります。

柳原良平ミュージアム

「トリスハイボール」や「横浜ポールハーバー」で有名な柳原良平さんは横浜出身の画家、イラストレーターです。

よく見るイラスト以外にも水彩画の展示もありました。

横浜みなと博物館の感想

外から見るとあまり大きく見えないこの博物館ですが、入ると地下に展示室があるため回るのには予想以上の時間がかかります。

港や船に興味がなくても楽しめるようによく工夫されており、子供の喜びそうな船の詳細な模型や歴代の船の大きさを比べるための壁一面に船が書かれたブースなどもあり子供連れでも楽しめるのではないでしょうか?

船についても少し調べてみようかなと思える博物館だったので、ぜひ行ってみてください!

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